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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)7650号 判決 1992年11月16日

原告

公受茂利

ほか二名

被告

河野勝治

ほか二名

主文

一  被告らは、各自、原告公受茂利に対し金六九四万七七二一円、原告公受梅一に対し金一三〇万八七〇四円、原告冨山浅数に対し金一三四万八八六〇円及び右各金員に対する被告河野については平成三年一〇月一〇日から、被告豊栄運輸倉庫株式会社については同月七日から、被告近畿交通共済協同組合については同月八日から、各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告公受茂利と被告らの間ではこれを五分し、その二を同原告の負担とし、その余を被告らの負担とし、原告公受梅一と被告らの間ではこれを三分し、その二を同原告の負担とし、その余を被告らの負担とし、原告冨山浅数と被告らの間ではこれを二分し、その一を同原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、各自、原告公受茂利に対し金一二六三万六八一四円、原告公受梅一に対し金四四四万四六三七円、原告冨山浅数に対し金二九三万一一〇〇円及び右各金員に対する被告河野については平成三年一〇月一〇日から、その余の被告らについては同月七日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、追突事故による被害者らが、加害者の運転者に対し民法七〇九条、その使用者に対し民法七一五条、その任意保険会社(任意共済)に対し約款に基づき損害賠償及び支払を請求した事件である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

次の交通事故が発生した。

(一) 日時 平成三年四月九日午後一〇時二二分頃

(二) 場所 兵庫県赤穂市高野所属山陽自動車道下り三三・六キロポスト先

(三) 加害車 大型貨物自動車(大阪一一う五三四三号)

右運転者 被告河野勝治

右使用者 被告会社

(四) 被害車 普通乗用自動車(大阪三三ひ九九〇号)

右運転者 原告公受茂利

右同乗者 原告公受梅一・原告冨山浅数

(五) 態様 被害車が加害車に追突されたもので、被告河野には過失責任がある。

2  任意保険(任意共済)

被告組合は、加害車の任意共済組合であり、被告会社が負担する損害賠償責任について、直接、被害者である原告らに対し、左記填補責任の限度において、共済金の支払義務がある。

(一) 対物 一回の事故について、五〇〇万円

(二) 対人 一回の事故の被害者一人について 一億円

3  入通院

(一) 原告公受茂利は、背部打撲、右肘関節捻挫、頸椎腰椎捻挫の診断を受け、本件事故後、次のとおり入通院治療を受けた。

(1) 半田外科病院

平成三年四月九日から同月一二日まで入院

(2) 林病院

同月一二日から平成四年三月一〇日まで通院

(二) 原告公受梅一は、頭頂部裂創、頭部打撲、腰部打撲、右肘関節打撲の診断を受け、本件事故後、次のとおり入通院治療を受けた。

(1) 半田外科病院

平成三年四月九日から同月一二日まで入院

(2) 林病院

同月一二日から平成四年三月九日まで通院

(三) 原告冨山浅数は、左第二第三肋骨骨折、頸椎捻挫、骨盤部・両膝打撲の診断を受け、本件事故後、次のとおり入通院治療を受けた。

(1) 半田外科病院

平成三年四月九日から同月一二日まで入院

(2) 林病院

同月一二日から平成四年三月二日まで通院

(右事実については、甲二八、甲三一、甲三五、乙一ないし乙一〇によつて認める。なお、右期間を超える通院の事実については、これを証すべき証拠がない。)

二  争点

1  原告らの受傷の程度及び休業の必要性

(一) 原告ら

(1) 原告公受茂利は、本件事故による傷害のため、本件事故後三か月間は一〇〇%、その後一か月間は五〇%、その後五か月間は三〇%働くことができず、それに相応する収入をえられなかつた。

(2) 原告公受梅一は、本件事故による傷害のため、本件事故後二か月間は全く働くことができず、その後五か月間は通院のため一か月当たり一〇万円程度減収となった。

(3) 原告冨山浅数は、本件事故による傷害のため、本件事故後一か月間は全く働くことができず、その後も、しばしば欠勤せざるをえず、それに相応する収入を得られなかった。

(二) 被告ら

原告らには、他覚的な異常はなく、その主張のような長期治療は必要なかつたものである。また、治療期間中においても、原告公受茂利は力仕事以外の業務を、原告公受梅一は平成三年四月中旬から理容の仕事を行なつていたものであるし、右原告らの就労制限の期間が、本件事故により最も重い傷害を受けた原告冨山の休業期間を越えることはない。

2  その他原告らの損害額

第三争点に対する判断

一  原告らの傷害の程度など

1  本件事故の発生及び受傷

被告河野勝治運転の大型貨物自動車(大阪一一う五三四三号)が、原告公受茂利運転、原告公受梅一及び原告冨山浅数同乗の普通乗用自動車(大阪三三ひ九九〇号)に追突したことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、甲二、甲一五、甲二〇によれば、これにより、原告公受茂利が背部打撲、右関節捻挫、頸椎腰痛捻挫の傷害を、原告公受梅一が頭頂部裂創、頭部打撲、腰部打撲、右膝関節打撲の傷害を、原告冨山浅数が頸椎捻挫、左第二、第三肋骨骨折、骨盤部、両膝打撲の傷害をそれぞれ負つたことが認められる。

2  原告らの症状及び治療の経過

前記争いのない事実に、証拠(甲二ないし甲四、甲一五、甲一六、甲二〇ないし甲二二、甲二四、甲二八、甲三一、甲三四、甲三五、甲三八、乙一ないし乙一五、各原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができ、各本人尋問における原告らの供述中、右認定に反する部分は採用できない。

(一) 原告公受茂利について

(1) 同原告は、本件事故当日、兵庫県相生市内にある半田病院において診察を受けた。その際、同原告は、同病院の医師に対し、事故の状況として、乗用車を運転中後方より衝突されたものと説明し、意識は清明で、頸から腰に掛けて疼痛のある状態と訴え、レントゲン上骨折線は認められなかつたが、主治医は、同原告の症状を、背部打撲、右肘関節捻挫、頸椎、腰椎捻挫と診断し、経過観察のための入院を指示した。

そして、原告は、同病院に入院し、入院期間中、注射及び湿布などの処置を受けたが、同月一二日家が遠くであるとして転医を希望し、退院した。

(2) 同原告は、平成三年四月一二日、大阪府豊中市原田中にある林病院において診察を受けた。その際、同原告は、同病院の医師に対し、事故の状況として、走行中、追突されたものと説明し、頸部痛及び左背部痛を訴え、医師が診察したところ、四肢のしびれ感はなく、ジヤクソンテストやスパーリングテストといった神経根症状誘発テストによつても異常が認められない状態であり、医師は、同原告の症状を、頸部捻挫、背部挫傷と診断し、湿布及び投薬を行うことにした。

その後、同原告は、同病院に通院し、同月一五日には腰痛を(もつとも、同日行なわれた神経学的検査によつてはなんらの異常も認められず、同原告自身も同月一九日には、腰痛は低下したとしている。)、同月一九日には両項部痛を、同年五月七日から同月二〇日にかけては右上肢(肩から指先にかけて)のしびれ感を、同年八月二一日には頸の右側の痛みや右手のしびれを、同年一一月二〇日には、第五胸椎側、第七頸椎棘傍脊柱筋の圧痛、右手のしびれ感に変化がないことを訴え、投薬、理学療法などの対症療法が継続的に施行された。

同病院医師田中直史は、同原告の症状について、平成三年五月二〇日には、レントゲン上も各種反射検査によつても異常はなく、軽中作業は可能であり、今後外傷性頸部症候群となる可能性があり、間隔を開けず通院し、医師の診察を受けるのがよい(乙一一)と、同年一一月二〇日には、レントゲン上も各種反射検査によつても異常はなく、当初より就労は行つている、現在の症状は、右側後頸部痛のみ、右手がじんじんするといった痛みを訴えている、さほど、最近は変化ない、リハビリにて一時的に軽快するため現在続行中、今後もう少しリハビリを続け、平成四年三月末頃症状固定し、治癒する見込み(乙一二)と、被告組合の照会に対して回答した。また、平成三年一〇月二九日付け診断書(甲四)によれば、就業などが不可能又は相当困難な期間は、平成三年六月三〇日までであるとされている。

なお、月毎の通院回数は、平成三年四月五回、五月一九回、六月二三回、七月二六回、八月一六回、九月二〇回、一〇月一八回、一一月一〇回、一二月八回、平成四年一月一回、二月一回、三月一回、合計一四八回である(これを超える通院の事実については、これを証する証拠がない。)。

(二) 原告公受梅一について

(1) 同原告は、本件事故当日、半田病院において診察を受けた。その際、同原告は、同病院の医師に対し、事故の状況として、乗用車の助手席に乗つていて後方より衝突されたものと説明し、腰痛及び右膝の痛みを訴え、頭頂部に切創が、顔面及び左指に挫創がある状態で、レントゲン上骨折線は認められなかつたが、主治医は、同原告の症状を、頭頂部裂創、頭部打撲、腰部打撲、右膝関節打撲と診断し、頭部を五センチメートル縫合し、経過観察のための入院を指示した。

そして、原告は、同病院に入院し、入院期間中、注射及び湿布などの処置を受けたが、同月一二日家が遠くであるとして転医を希望し、退院した。

(2) 同原告は、平成三年四月一二日、林病院において診察を受けた。その際、同原告は、同病院の医師に対し、事故の状況として、走行中、追突されたものと説明し、腰痛を訴え、医師が診察したところ、頭部(額)に縫合創があり、腰部の圧痛を訴えるが、下肢のしびれ感はない状態であり、医師は、同原告の症状を、頭部挫創、腰部捻挫と診断し、湿布及び投薬を行なうことにした。

その後、同原告は、同病院に通院し、同月一六日には腰痛の持続を、同月一七日、同年五月二日、同年六月二七日、同年一一月一八日と腰痛を訴え(なお、同年五月二日に行われたラセーグテストでは異常は認められなかつたが、同年六月二七日に行なわれた同テストの際には脚を六〇度挙上したところ疼痛を、同年一一月一八日に行なわれた同テストの際には脚を五、六十度挙上したところ疼痛を訴えた。)、投薬、理学療法などの対症療法が継続的に施行された。なお、同原告は、医師に対して、同年四月一七日には、仕事は理容業であり、まだちよつと不安だが無理にしている、同月二六日には仕事理容業何とか、運送業は駄目と説明した。また、平成三年一〇月二八日付け診断書(甲三四)によれば、就業などが不可能又は相当困難な期間は、平成三年六月三〇日までであるとされている。

同病院医師田中直史は、同原告の症状について、平成三年五月二五日には、レントゲン上も各種反射検査によつても異常はなく、就労について、最初はデスクワーク、軽作業よりとし、平成三年六月中旬頃症状固定し、同月末頃治癒する見込み(乙一三)と、被告組合の照会に対して回答した。

なお、月毎の通院回数は、平成三年四月七回、五月二〇回、六月二五回、七月二七回、八月二二回、九月二二回、一〇月二五回、一一月一〇回、一二月三回、平成四年一月五回、二月三回、三月一回、合計一七〇回である(これを超える通院の事実については、これを証する証拠がない。)

(三) 原告冨山浅数について

(1) 同原告は、本件事故当日、半田病院において診察を受けた。その際、同原告は、同病院の医師に対し、事故の状況として、後部座席に乗車中、後方より衝突されたものと説明し、意識は清明であつたが、強い頸部痛、左胸部痛、両下肢痛を訴え、レントゲン上左第二、第三肋骨に骨折が認められる状態で、主治医は、同原告の症状を、左第二、第三肋骨骨折、頸椎捻挫、骨盤部、両膝打撲と診断し、経過観察のための入院を指示した。

そして、原告は、同病院に入院し、入院期間中、砂のう固定、バストバンド固定、注射及び湿布などの処置を受けたが、同月一二日転医を希望し、退院した。

(2) 同原告は、平成三年四月一二日、林病院において診察を受けた。その際、同原告は、同病院の医師に対し、事故の状況として、走行中、追突されたものと説明し、項部痛及び左第二、第三肋骨の疼痛を訴え、医師は、入院を指示した。そして、同原告は、同病院に入院し、トラコバンド固定、注射及び湿布などの処置を受けたが、同月一七日退院した。

その後、同原告は、同病院に通院し、同月二〇日には右第四、第五指のしびれ感(なお、知覚鈍麻はない。また、同原告自身も同年五月二日にはしびれ感は低下したとしている。)、同年四月二六日には胸部痛を、同年五月二日には前屈時の頸部痛を、同月七日には前屈時の左頸傍脊柱筋の痛みを、同月九日には、頸の痛み、右手のしびれを、同年六月三日には朝の首の痛みや右手のしびれを、その後、断続的に首の痛みを訴えたが、同年五月一一日には朝方つらいが薬で軽快したと、同月一八日には疼痛軽減しリハビリの後は良いと、同年六月二一日には胸部痛は低下し仕事中は何とか忘れるが落ち着くと痛むような状態になつたと延べるようになり、この間、投薬、理学療法などの対症療法が継続的に施行された。また、同原告自身、医師に対して、平成三年五月一三日より仕事を行ない、七〇パーセント程度行なつている(同月二九日の説明)とか、かなり仕事している(同年六月七日の説明)と説明した(もつとも、同年七月一八日付けの休業損害証明書(甲二四)によれば、同原告の休業期間は同年四月一〇日から同年五月八日までの二九日間であるとされており、他には遅刻の事実を証明する証拠(甲四一)は存するものの、休業したことを証明する書証は提出されていない。)。また、平成三年一〇月二八日付け診断書(甲三八)によれば、就業などが不可能又は相当困難な期間は、平成三年五月三一日までであるとされている。

同原告の症状について、同病院医師小石恭之は、平成三年四月二五日には、レントゲン上左第二、第三肋骨に骨折線を認めるが、各種反射検査によつても異常はなく、同年五月一日より最初はデスクワーク・軽作業より開始し、同年六月末日頃症状固定し、治癒する見込であり軽・中作業は可能である(乙一四)と、同病院医師田中直史は、同年一一月一三日には、背中、頸が痛むが、軽作業に関しては就労可であり、多少の痛みは残存しつつも、使いながら(他の部分の安静期間が長期化するとかえつて具合が悪い)経過を見ながら始める必要がある時期と考える、今後患者と話し合いを行ない指導する見込み(乙一五)と、被告組合の照会に対して回答した。

なお、月毎の通院回数は、平成三年四月二回、五月一九回、六月二四回、七月二七回、八月九回、九月四回、一〇月五回、一一月四回、一二月四回、平成四年一月一回、二月二回(二月については、乙九・二七丁により認めた。)三月一回、合計一〇二回である(これを超える通院の事実については、これを証する証拠がない。)

3  原告らの受傷内容などについて

右1及び2の事実を前提として、原告らの受傷の内容などについて判断する。

(一) 原告公受茂利について

同原告の症状は、レントゲン検査や神経学的な検査などから伺われる他覚的な所見に乏しい、項部痛及び右上肢(肩から指先にかけて)のしびれ感(これらの症状は、頸部捻挫に由来するものと考えられる。)といつた自覚症状を中心としたものであるが、原告の訴える症状の内容及び推移や前記治療経過などから考えて、同原告の頸部捻挫は、頸部軟部を損傷したことを内容とするものであつたと認められることになる。

そして、軟部組織の捻挫による場合は、一般的には、安静を要するとしても長期にわたる必要はなく、その後は多少の自覚症状があつても日常生活の中で適切な治療を受けることにより、短期間のうちに普通の生活をすることが可能となるとされており、本件においても、原告の主治医である田中直史医師は、平成三年五月二〇日には、軽・中作業は可能であり、同年一一月二〇日には、当初より就労は行なつている、平成四年三月末頃症状固定し、治癒する見込みであるとしており、同病院の診断書によれば、就業などが不可能又は相当困難な期間は、平成三年六月三〇日までであるとされているところであるんから、前記頸部捻挫に関する一般的知見のとおりの経過をたどつたものと認められることになる。

(二) 原告公受梅一について

同原告には、当初は頭頂部の切創並びに顔面及び左指の挫創が認められたものの、これらの創傷は早期に治癒し、その後は、腰痛のみが持続したことになるが、その腰部の症状は、レントゲン検査や神経学的な検査などから伺われる他覚的な所見に乏しい(なお、平成三年六月二七日以降に行なわれたラセーグテストでは、ある程度の異常所見が認められているが、より事故に近接した同年五月二日時点では、同テストによる異常所見は認められていないところであつて、前記所見と本件事故との結びつきを肯定することは困難といわざるをえない。)、自覚症状を中心としたものであるが、同原告の訴える症状の内容及び推移や前記治療経過などから考えて、同原告の腰部捻挫は、腰部軟部を損傷したことを内容とするものであつたと認められることになる。

そして、軟部組織の捻挫による場合は、一般的には、安静を要するとしても長期にわたる必要はなく、その後は多少の自覚症状があつても日常生活の中で適切な治療を受けることにより、短期間のうちに普通の生活をすることが可能となるとされていることは前記のとおりであり、本件においても、同原告自身、平成三年四月一七日には、仕事は理容業であり、まだちよつと不安だが無理にしていると、同月二六日には仕事理容業何とか、運送業は駄目と、それぞれ主治医に対して説明し、主治医も、平成三年五月二五日には、就労は、最初はデスクワーク、軽作業より開始すべきで、平成三年六月中旬頃には症状固定し、同月末頃治癒する見込みであると回答し、同病院の診断書によれば、就業などが不可能又は相当困難な期間は、平成三年六月三〇日までであるとされているところであるから、前記腰部捻挫に関する一般的知見のとおりの経過をたどつたものと認められることになる。

(三) 原告冨山浅数について

同原告には、当初は左第二、第三肋骨が認められたものの、これに対する治療措置はバストバンド又はトラコバンドによる固定が行なわれたにとどまり、その後は、頸部痛のみが持続したことになるが、その頸部の症状は、レントゲン検査や神経学的な検査などから伺われる他覚的な所見に乏しい、自覚症状を中心としたものであり、同原告の訴える症状の内容及び推移や前記治療経過などから考えて、同原告の頸部捻挫は、頸部軟部を損傷したことを内容とするものであつたと認められることになる。

そして、軟部組織の捻挫による場合は、一般的には、安静を要するとしても長期にわたる必要はなく、その後は多少の自覚症状があつても日常生活の中で適切な治療を受けることにより、短期間のうちに普通の生活をすることが可能となるとされていることは前記のとおりであり、本件においても、同原告は、平成三年五月八日まで休業した後仕事に復帰し、同月二九日頃には、七〇パーセント程度の仕事を行ない、その後は、通院のために勤務に遅刻したにとどまつていることなどは前記認定のとおりであるから、前記頸部捻挫に関する一般的知見のとおりの経過をたどつたものと認められることになる。

二  損害について

右一で認定、説示したことを前提として、原告らの損害について判断する。

1  原告公受茂利について

(一) 休業損害(請求額五〇〇万円) 一八三万三五三三円

同原告は、本件事故当時、マイクロフォンコードの製造販売及びBSケーブル、ファミリーゲーム用コードの加工販売を事業内容とし、年間売上約一億六〇〇ないし二〇〇〇万円、従業員数一六ないし一八名の株式会社三和製作所の代表取締役として、ハンダ付け、荷物の積み下ろし、銀行への入出金、営業などの仕事に従事しており、平成二年度において、同原告が同社から支給を受けた報酬は一二〇〇万円であつた(同原告本人尋問の結果及び甲一二の一)。もつとも、その中には、他の従業員の労務による事業主としての収益部分が含まれており、それを全て同原告の労働の対価と考えることは相当ではなく、自らの労働がその収入に寄与した割合については、前記事業規模及び内容などから考えてその六割程度と考えるのが相当であり、これを越えることについては証明がないから、同原告はその休業により、年額にして七二〇万円程度の収入を失つたものと認めるのが相当であることになる。

そして、前記受傷内容及び症状経過及び職務の内容などからすれば、同原告は、本件事故による傷害のため、本件事故翌日(本件事故発生は午後一〇時過ぎ。)の平成三年四月一〇日から同月一二日までの入院期間三日間については一〇〇パーセント、その後診断書上就業などが不可能又は相当困難な期間とされている同年六月三〇日まで七九日間については平均して七五パーセント程度(なお、右診断書にいう、「就業などが不可能又は相当困難」というのは、相当に多義的な表現であるが、原告冨山浅数について、同人が医師に対して同年五月二九日に七〇パーセント程度行なつていると説明したところ、同人については、就業などが不可能又は相当困難な期間は、平成三年五月三一日までであるとする診断書が作成されていることなどからすれば、当該医師としては、就労能力に三〇パーセント程度以上の制限がある期間が「就業などが不可能又は相当困難」に該当するものと考えて、これらの診断書を作成したものと推認できる。)、その後、月二〇回程度の通院が継続されている同年一〇月末日頃までの一二三日間については平均して二〇パーセント程度、月一〇回程度の通院が継続されている同年一二月末日頃までの六一日間については平均して一〇パーセント程度の就労能力の制限が同原告に生じていたものと認めるのが相当であるが、これを上回る就労制限があつたことについては、本件全証拠によるも、これを認めるに足りない。

なお、株式会社三和製作所取締役会議事録(甲一四)には、平成三年四月以降における同原告の役員報酬を、同人が通常の職務遂行ができないことを理由としてゼロ円とすることが、同社本店で、平成三年四月二二日午前一一時から午前一一時三〇分の間に公受梅一ら出席の上開催された取締役会において決議された旨記載されており、原告公受梅一は、本人尋問において、同日、病院でリハビリをして急いで帰つて取締役会に出たと供述している。しかしながら、林病院における公受梅一のカルテ(乙五の五頁及び一七頁)によれば、同日、公受梅一は、生化学検査及び血液学検査を受け、その受付時刻は一二時とされていることが認められ、これによれば、公受梅一はその頃まで病院にとどまつていたものと推認されるところであつて、公受梅一が株式会社三和製作所取締役会に出席し、そのような決議がなされていたかは相当に疑問であるし、仮にそのような決議がなされていたとしても、原告公受茂利の就労能力の制限が前記認定のようなものである以上、それを上回る部分については本件事故と相当因果関係を欠くことになるから、その部分の損害を加害者側に対し請求することはできないことになる。

そこで、前記認定の同原告の自己の労働の対価としての収入及び就労制限の程度を前提として、同原告の休業損害について計算すれば、次の計算のとおり一八三万三五三三円(一円未満切り捨て)と認められることになる。

(計算式)

7200000×3/365×1.00=59178……<1>

7200000×79/365×0.75=1168767…<2>

7200000×123/365×0.20=485260…<3>

7200000×61/365×0.10=120328…<4>

<1>+<2>+<3>+<4>=1833533

(二) 慰謝料(請求額一五〇万円)

本件事故の状況、同原告の症状が他覚所見に乏しい、自覚症状を中心としたものであること、その他入通院経過など以上に認定の諸般の事情を考慮すると、同原告が本件事故により受けた肉体的精神的苦痛に対する慰謝料としては五〇万円が相当である。

(三) その他治療関係費(請求額不明)

同原告は、治療費関係、通院関係、雑費類もきつちり認められるべきであると主張するが、その内容及び金額を具体的に主張していないから、その主張は失当である。

(四) 物的損害(請求額五一三万六八一四円)

(1) 車両損害(請求額五〇六万六八一四円)三九七万九一八八円

原告らは、被害車の車両損害として、車両本体価格四五〇万円、附属品費用二二万一五〇〇円、取得税一一万七二〇〇円、登録費三万〇三〇〇円、消費税一四万二四一四円、自動車税五万五四〇〇円の合計五〇六万六八一四円が本件損害であると主張する。

しかしながら、乙一六によれば、被害車は、株式会社三和製作所所有にかかる自動車であるが、これについては、三八六万三二九〇円(消費税別)の修理費により修理が可能であるとされているところ、その修理が不能であることを証するに足りる証拠はないから、買替を前提とする原告らの主張は採用できない。

したがつて、右修理費に消費税相当額一一万五八九八円を加算した三九七万九一八八円の限度で本件事故と相当因果関係のある損害であり、これは、所有者である株式会社三和製作所の有する損害賠償請求権ということになる。なお、被告らは、株式会社三和製作所には、本件事故により原告公受茂利に対する役員報酬の支払いを免れるという利益が生じたから、同額について、損益相殺すべきであると主張するが、その報酬支払い免脱部分のうち、原告公受茂利の就労制限に対応する部分については、それに相応する労務の提供を受けていないから、その報酬支払いを免れたことによる利得はないことになるし、仮に就労制限の割合を超える部分があつたとしても、その免脱については、本件事故との相当因果関係がないことになるので、株式会社三和製作所には、本件事故による利益は生じていないことになるから、右被告らの主張は採用できない。

そして、甲四〇によれば、右損害賠償請求権は、株式会社三和製作所から原告公受茂利に譲渡されたことが認められる。

(2) 衣類の損害(請求額七万円) 三万五〇〇〇円

原告公受茂利本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被害車のトランクに詰んでいたジヤンパーコートが損傷したこと、このコートは本件事故の前年か前々年の秋に七万円で購入したものであることが認められる。したがつて、本件事故当時の時価は、その半額程度であると認めるのが相当であり、その限度で本件事故との相当因果関係が認められることになる。

なお、同一の中古品を購入することは不可能であるから、新品価格の補償が認められるべきであると原告らは主張するが、この主張は、超過賠償を肯定することになるもので、採用できない(この点については、他の原告の損害に関しても同様であつて、重ねて説示しない。)。

(以上(一)ないし(四)の合計は、六三四万七七二一円である。)

(五) 弁護士費用(請求額一〇〇万円) 六〇万円

本件訴訟の審理の経過及び結論からすれば、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、六〇万円となる。

2  原告公受梅一について

(一) 治療関係(請求額七三三〇円) 七三三〇円

甲一七の一ないし三によれば、右原告主張の治療費を同原告が負担したことが認められる。

(二) 入院及び転院雑費(請求額六万五〇〇〇円)五二〇〇円

同原告の前記入院期間(四日間)からして、同原告は、一日当たり一三〇〇円の割合による入院雑費五二〇〇円を必要としたことが認められる。転院費用については、これを証するに足りる証拠はない。

(三) 通院交通費(請求額七万円) 三万四〇〇〇円

原告公受梅一本人尋問の結果によれば、同原告は、往路は、池田市内にある自宅から妻が運転する自動車に同乗して豊中市内にある林病院まで通院し、復路は電車を利用していたことが認められるから、同原告は、一日当たり二〇〇円程度の通院交通費を必要としたものと考えられるところ、その通院回数は前記認定のとおり一七〇回である。したがつて、本件事故と相当因果関係のある通院交通費は、三万四〇〇〇円ということになる。

(四) 休業損害(請求額二四六万二三〇七円) 五〇万二一七四円

甲二九及び同原告本人尋問の結果によれば、同原告は、本件事故当時、豊中市内において姉と理容院を営むと共に、株式会社三和製作所の作業を下請けし、株式会社三和製作所と孫請の間で、部品や製品を集配する仕事をしていたこと、理容院から同原告が得る収入は月額一七万円程度であつたこと(本人調書七項)が認められる。

そして、前記受傷内容及び症状経過及び職務の内容などからすれば、同原告は、本件事故による傷害のため、本件事故翌日の平成三年四月一〇日から同月一二日までの入院期間三日間については一〇〇パーセント、その後診断書上就業などが不可能又は相当困難な期間とされている同年六月三〇日まで七九日間については平均して七五パーセント程度(なお、右診断書は、就労能力に三〇パーセント程度以上の制限がある期間はそれに含まれるものとして右作成されているものと解すべきことについては、原告前記公受茂利の損害において、判断したとおりである。)、その後、月二〇回程度の通院が継続されている同年一〇月末日頃までの一二三日間については平均して二〇パーセント程度、月一〇回程度の通院が継続されている同年一一月末日頃までの三〇日間については平均して一〇パーセント程度の就労能力の制限が同原告に生じていたものと認めるのが相当であるが、これを上回る就労制限があつたことについては、本件全証拠によるも、これを認めるに足りない。

そこで、これらを前提として、同原告の理容業に関する休業損害について計算すれば、次の計算のとおり五〇万二一七四円と認められることになる。

(計算式)

170000×12×3/365×1.00=16767…<1>

170000×12×79/365×0.75=331150…<2>

170000×12×123/365×0.20=137490…<3>

170000×12×30/365×0.10=16767…<4>

<1>+<2>+<3>+<4>=502174

なお、同原告は、平成三年四月から同年六月までの間、株式会社三和製作所の部品などの集配の仕事を、第三者に依頼し、その費用として事故後一か月目において三三万六〇八九円、二か月目において三二万二九七四円、三か月目において六六万三二四四円の合計一三二万二三〇七円を要したと主張し、同原告本人は、この作業を友人で昭和二十二、三年生まれの富山敏明、息子で昭和四五年一二月生まれの公受真清、義弟(一方で、甥とも供述している。)で、昭和二十二、三年生まれで、四国で百姓をしている脇に手伝わせたもので、仕事を主に行なつていたのが脇と公受真清であり、荷物の積み下ろしを行なつたのが富山である、富山はいらないといつていたが、報酬を支払つたもので、甲一八の一ないし三(甲三二の四ないし六は、これに更に「御礼」と書き込んだもの。)はその領収書である、脇と公受真清がいくらもらつたかは判らないと供述する。しかしながら、その年齢や富山は報酬をいらないといい、脇は四国で百姓をしている者であることなどから考えて、そもそも、富山や脇がそのような手伝いを行なつたのかには相当に疑問があるところであるし、その領収書という甲一八の一ないし三も、平成三年四月と同年六月の二か月分について、その金額が、甲三九によつて認められる株式会社三和製作所が同原告に対し下請けさせた外注工賃そのものと一円の単位まで一致している点においても不自然であつて、これによつて、同原告が、部品などの集配の仕事を、第三者に依頼するについて費用を要した事実を認めることはできず、他にこれを証するに足りる証拠はない。

更に、原告らは、事故の月は、妻が付添などのために働くことができず、それにより原告公受梅一に一〇万円の損害が発生したと主張するが、前記認定の原告の症状の程度から考えて、同原告が妻のそのような付添を必要としたとは考えがたく、そのような損害が発生したものと認めることはできない。

(五) 着衣の損害(請求額二二万円) 〇円

原告公受梅一本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件事故当時、原告公受梅一は、礼服及びカッターシヤツを着用し、靴を履いており、それらが事故による出血のために汚染されたことが認められる。しかしながら、原告公受梅一本人尋問の結果によれば、礼服及びカッターシヤツは十五、六年前に購入したものであり、靴は三、四年は履いたものであること、また購入時の価格は記憶していないことが認められるところであつて(なお、主尋問においては、金額についても、供述しているが、反対尋問の結果と対比し、信用しない。)、その経済的価値を認めることはできない。

(六) 慰謝料(請求額一〇〇万円) 六〇万円

本件事故の状況、同原告の症状が他覚所見に乏しい、自覚症状を中心としたものであること、その他入通院経過など以上に認定の諸般の事情を考慮すると、同原告が本件事故により受けた肉体的精神的苦痛に対する慰謝料としては六〇万円が相当である。

(七) その他雑貨(請求額不明) 〇円

同原告は、治療費、通院関係、雑費類もきつちり認められるべきであると主張するが、既に判断したもの以外は、その内容及び金額を具体的に主張していないから、その主張は失当である。

(八) 物損(請求額一三万円) 四万円

原告公受梅一本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被害車のトランクに詰んでいた土産物用ちやぶ台並びに家屋修理材料及び道具が損傷したこと、このちやぶ台は三万円で購入したものであり新品であること、家屋修理道具のうちサンダーは二、三年前に四、五万円で購入したものであることが認められる。したがつて、本件事故当時の価格は、ちやぶ台は三万円程度であるものの、サンダーについては、その四分の一程度であると認めるのが相当であるから合計四万円の限度では、本件事故との相当因果関係が認められることになるが、その余の損害についてはこれを認めることができない。

(以上(一)ないし(八)の合計は、一一八万八七〇四円である。)

(九) 弁護士費用(請求額五〇万円) 一二万円

本件訴訟の審理の経過及び結論からすれば、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、一二万円となる。

3  原告冨山浅数について

(一) 付添費用(請求額二八万円) 四万〇五〇〇円

同原告の前記認定の症状経過によれば、同原告は入院期間(平成三年四月九日から同月一七日までの九日間)につき、付添看護を必要としたものと認められるところ、その費用については、一日当たり四五〇〇円として算定するのが相当である。したがつて、その合計は四万〇五〇〇円となる。

更に、原告らは、同年六月一日までの期間においても付添看護を必要としたと主張するが、前記認定の原告冨山の症状の程度から考えて、そのような妻の付添を必要としたとは考えがたく、その損害の発生を認めることはできない。

(二) 通院交通費(請求額三一万五〇〇〇円) 三万五五六〇円

甲二六及び原告冨山浅数本人尋問の結果によれば、同原告は、往路は、枚方市内にうる自宅からバス、電車、タクシーを利用して豊中市内にある林病院まで通院していたこと、その交通費は星ケ丘からJR大阪駅までの電車代及びバス代合計が五九〇円、阪急梅田駅から阪急曽根駅までの電車代が一三〇円、阪急曽根駅から林病院までのタクシー代が五四〇円であることが認められる。

しかしながら、前記認定のように、平成三年五月九日には、同原告は、遅刻はしても、休業はしない状態に復していたものと認められることは前認定のとおりであるところ、甲四一によれば同原告の勤務先は大阪市福島区内にあることが明らかであり、右通院のうち星ケ丘からJR大阪までの部分は、通勤の範囲内に含まれることになるし、その症状の程度からして、阪急曽根駅から林病院までの区間につきタクシーを利用する必要性のない状態に回復していたものというべきことになる。

したがつて、平成三年五月八日以前の通院についてのみ前記交通費片道一二六〇円を前提とし、その後の期間については阪急曽根駅から林病院までの公共交通機関利用による交通費について証明がない以上阪急梅田駅から阪急曽根駅までの電車代一三〇円を前提として、通院交通費を認定すべきことになるところ、その通院回数は前記認定事実及び甲三八によれば平成三年五月八日以前において四回、その後九八回であるということになる。したがつて、本件事故と相当因果関係のある通院交通費は、次の計算のとおり三万五五六〇円ということになる。

(計算式)

1260×2×4=10080…<1>

130×2×98=25480…<2>

<1>+<2>=35560

(三) 休業損害(請求額三五万〇四〇〇円)一三万四三〇〇円

甲二九、甲四一及び同原告本人尋問の結果によれば、同原告は、本件事故当時、大阪市福島区内にある近畿三菱自動車販売株式会社において自動車整備の仕事に従事し、事故前三か月において月額平均三七万九五〇〇円の給与の支払いを受けていたこと、同原告は、本件事故の翌日である平成三年四月一〇日から同年五月八日までの二九日間休業をしたこと、その後も通院のための遅刻をしばしばしたことなどが認められる。

そして、前記受傷内容及び症状経過及び職務の内容などからして、右休業及び遅刻は、本件事故によるものと認められることになるが、右休業については全期間年次有給休暇が使用され、給与全額が支払われていることが甲二四によつて明らかであるから、甲四一によつて認められる右遅刻による賞与減額分一三万四三〇〇円のみが本件事故による休業損害ということになる(なお、右有給休暇使用の点については、慰謝料において考慮することとする。)。

(四) 着衣の損害(請求額八万円) 六〇〇〇円

原告冨山浅数本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件事故当時、同原告が着用していたスポーツウエア及びズボンが損傷したこと(なお、同本人尋問においては、ポロシヤツも着用していたと供述するが、主張によれば、持参分であるとされているので、後に、物損として判断することにする。)、このスポーツウエアは事故の二年前に一万二〇〇〇万円で購入したものであり、ズボンは高校卒業の記念(なお、同原告は、本件事故当時三七歳。)に一万八〇〇〇円で仕立てたものであることが認められる。したがつて、本件事故当時の価格は、スポーツウエアについては、その二分の一の六〇〇〇円程度であると認められるものの、ズボンについては、その財産的価値を認めることはできない。

したがつて、着衣については、六〇〇〇円の限度では、本件事故との相当因果関係が認められることになるが、その余についてはこれを認めることができない。

(五) 慰謝料(請求額一五〇万円) 一〇〇万円

本件事故の状況、同原告の症状が他覚所見に乏しい、自覚症状を中心としたものであること、その他入通院経過及び同原告がその休業について事故の有給休暇を充てていることなど以上に認定の諸般の事情を考慮すると、同原告が本件事故により受けた肉体的精神的苦痛に対する慰謝料としては一〇〇万円が相当である。

(六) 物損(請求額二四万円) 一万二五〇〇円

原告冨山浅数本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被害車のトランクに詰んでいた礼服、カツターシヤツ、靴、ポロシヤツ、電気カミソリが本件事故により損傷したこと、礼服、カツターシヤツ、靴はいずれも一四年程前に、それぞれ六万円、二万円、二万円程度で購入したものであること、ポロシヤツ及び電気カミソリは、いずれも事故の二年程前に、それぞれ一万五〇〇〇円、一万円で購入したものであることが認められる。したがつて、本件事故当時の価格は、ポロシヤツ及び電気カミソリについては、その二分の一程度であると認めるのが相当であると認められるにしても、その余のものについては、財産的価値を認めることができない。

したがつて、ポロシヤツ及び電気カミソリの時価合計として相当と認められる一万二五〇〇円の限度では、本件事故との相当因果関係が認められることになるが、その余の損害についてはこれを認めることができない。

(以上(一)ないし(六)の合計は、一二二万八八六〇円である。)

(七) 弁護士費用(請求額三〇万円) 一二万円

本件訴訟の審理の経過及び結論からすれば、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、一二万円となる。

三  結論

以上によれば、本訴請求は、被告らに対し、原告公受茂利において六九四万七七二一円、原告公受梅一において一三〇万八七〇四円、原告冨山浅数において一三四万八八六〇円及びこれらに対する被告河野については、本件不法行為の後であり、本件記録上、訴状送達の日であることが明らかである平成三年一〇月一〇日から、被告会社については、本件不法行為の後であり、本件記録によつて訴状送達の日であることが明らかである同月七日から、被告組合について本件記録上、訴状送達の翌日であることが明らかである同月八日(被告組合に対する請求権は、履行の請求によつて遅滞に陥るものと解されるから、その遅滞損害金起算日は訴状送達の翌日となる。)から、いずれも支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める限度で理由があり(なお、右認定金額は、被告組合が負担すべき填補責任限度額を超えない。)、その余は理由がないことになる。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 松井英隆)

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